地場産業は地域の個性

 三浦展氏の著作「ファストフード化する日本」の中で、ロードサイド型店舗が、地方固有の歴史・風土を侵食し、生活・文化がファストフードのように均質化していくというくだりがあります。筆者も複数県で生活した経験で、あまりにも風景が酷似していることから、今どこにいるのか一瞬わからなくなる錯覚に襲われたことが度々ありました。
 ポリテクセンター山梨が実施運営する職業訓練は、製造業、建設業に関わるコースが中心で、習得できるスキルは日本全国どこでも通用するよう訓練カリキュラムを設定しています。世界市場、日本市場全般を対象としたこれらの産業は、この地域を支える事業として非常に重要であることは言うまでもありません。
 一方、消費者嗜好の変化や市場のグローバル化などの影響を受けて衰退してきた地場産業の存在があります。これらの産業は、地域の気候風土・風習などを受けて繁栄してきた歴史があり、地域の個性を形づくる産業です。DX社会が進む今、新たな地場産業の生き方を模索する姿にフォーカスし、山梨県の個性について考えます。

 富士山を望む郡内地方の西桂で、1866年から操業を続ける槙田商店。この地で150年以上、山梨県の地場産業である郡内織物の老舗として、歴史と伝統を守り続けてきたその足跡に迫ります。

地域を生きる

郡内織物の歴史・文化を後世に

槙田商店の仕事風景写1 郡内織物の写真
代表取締役社長槇田洋一さんの写真
時代と共に事業内容は変遷する

 元々は、絹糸を中心にした卸業から槙田商店の歴史は始まります。その後、織物の企画・織り方の開発から、和服生地、洋服生地、傘生地を自ら生産する業態に変わっていきました。日本中の繊維産地は、ある時期から外国産製品に押され、苦境に陥ります。その後も、バブル崩壊、リーマンショック、アパレル業界のSPA(製造小売業)の台頭など、次々に業界が対応しなければならない難題に見舞われました。郡内織物を支えてきた事業者は環境の変化に対応しながらも、中には事業継続を諦めざるを得ない所も少なくありません。全国的に見て、郡内地域は産地としては元々小規模ですが、産品が多品種であるという他の産地にはない特徴が売りです。その特徴を損なわない為にも、これ以上、多様な事業所が減少していかないことを願うばかりです。

良い製品を時代に合った
売り方でお届けしたい

 現社長の槇田洋一さんが、今の会社に戻ってきたのが、リーマンショック後の2009年。景気後退時期にあたり、色々とご苦労されたお話も伺いました。家業を継続するため、OEM生産による服地、傘などの受注を生業としてきましたが、発注元の経営方針などの影響も受けやすく、その売上だけに依存しすぎるのはリスクが大きいと考え、生地作りから傘作りまで出来る強みを持つ傘を自社ブランドとしてB2Cに取り組むこととなり、少しずつ、高級傘としての地歩を築きつつあると、槇田社長の言。今後は、製品イメージに合った自社の売り場作りの見直しや、何処で誰に売るのかという戦略も明確化したいとも仰っていました。

槙田商店の仕事風景写2
Made in Gunnai を次の世代へ

 「世にない独自の商品をつくるためにはものづくりから」と、創業から一つの商品をつくるために機械づくりから行ってきた同社。食品メーカーという単なる供給会社の枠にはとどまらない活動を展開。その人材教育の方針としては、3年ほど前から外部講習を積極的に活用するようになりました。
 「その一つがポリテクセンターとの取り組み。当社向けの独自の教育プログラムの検討をしたり若手スタッフがセミナーに参加させていただいたりしています。外部の専門機関を活用させていただくというのはとても意義のあること。例えば装置づくりや修繕に重要な電気などの専門的な分野について、セミナーで基本理論を学ぶことは業務上の安全にもつながる上、スタッフのスキルアップや自信にもなっていると感じます」と岩間さん。「いくつもの成長のステップを用意し、レベルや希望に合わせたステージに挑戦できる環境を整えておくこと。そうすることで従業員により主体的な姿勢が生まれると考えています。ポリテクセンターとも相談しながら、教育システムを構築していけたらいいですね」

槙田商店のロゴ 槙田商店の仕事風景写3 槙田商店の社屋の写真

株式会社 槙田商店

所在地:山梨県南都留郡西桂町小沼1717
   TEL.0555-25-3113
事業内容:織物製造卸