New regional era


地方の時間軸で生きる

tete第14号でご紹介した“IROHA CRAFT”が中心になって、変貌を遂げている韮崎の街。

この街でオープンして約1年半経過した石田西洋菓子店を取材しました。お店は、“IROHA CRAFT”がリノベーションを手掛けた物件で、きれいなブルーのアンティークな外装、内装が目を引きます。

何故、韮崎にお店を開こうと思ったのか、経歴を伺いながら、その理由を紐解きます。

また、地方、地域にどのように寄り添い生きていくのかもお聞きしました。

店主石田 恒平 さん

波乱の経歴が財産

店主石田さんの経歴についてご紹介します。大阪出身の石田さんは、地元の調理学校(菓子専攻)を卒業され、同じく地元の洋菓子店に就職されました。このお店で、洋菓子作りのあらゆる工程の基礎を経験したことで、菓子作りへの興味、探求心が芽生えたそうです。当時、レベルの高い有名店のほとんどが東京にあり、夜行バスで上京し、それらのお店を食べ歩きしたことで、東京で仕事をしたいというモチベーションが大きくなりました。東京での経験は、悔しいことや、大変なことも多くあったそうですが、その頃からヨーロッパで菓子作りを経験したいという気持ちが強くなりました。ただ、渡欧まではまだ時間がかかります。

大阪での仕事の知り合いから紹介された、エーグルドゥース(目白にある人気店)のパティシエ“寺井則彦”氏との出会いが、石田さんの今に繋がります。開業間もない当店で、 7年に渡り厳しい厨房での仕事を経験し、今度は寺井さんの紹介でルクセンブルク、ベルギーでの腕試しの旅が始まります。石田西洋菓子店の正面ディスプレイには、多くの天秤が展示されていますが、これらはベルギーでの修行中のコレクションだそうです。また、石田さんのケーキに時々登場するチョコレート細工も、ベルギー時代の経験が出ているかもしれないと、ご本人の言。

ここでまた、寺井さんからの紹介で、パリの人気店が東京の広尾に初上陸するにあたって、日本店の製造責任者をしないかとの誘いにより帰国し、当店で厨房の責任者を担いました。オープン当初は、大変な賑わいだったそうですが、徐々に客足が減り、厳しい立場でつらい想いをしながらその時期を過ごしたそうです。今となってはこれも、貴重な経験だったと仰っていました。この店を離れた時に、再度、寺井さんから声がかかります。フランスで開催される「トロフィー・インターナショナル・パティスリー・フランセーズ」への出場推薦です。エーグルドゥースの業務を手伝いながらコンクールの準備、単身渡仏して見事2位に入賞します。その後も、まだまだ紆余曲折ありましたが、最終的には自分でやりたい西洋菓子作りのために、自分のお店を開こうという決心がつき、韮崎で2024年3月に開店しました。

大都市ではなく、韮崎でお店を開く

ここまで長々と経歴をご紹介したのは、これだけの経験を積んだパティシエは、東京や場合によっては、パリやニューヨークで事業を展開し、世界的な評価や人気店として有名になること、大きな売り上げを得ることなどが、これまでの傾向でした。ただ、石田さんは、「東京で有名パティシエとして仕事をすることに自分は向いていない。行列ができて追い立てられるような仕事は、多分パティシエを続けられないかも知れない。自分のペースで、やりたいことにチャレンジできる時間があり、地元のお客さんが喜んで食べてくれるお店が自分の目指したい形」だとお話しいただきました。

韮崎は、東京での仕事で知り合った方の紹介で、当地を自分の目で見て、色々と助けてくれる方々もいて、立地など全てを満たすことなどから決められたそうです。山梨県の地元食材、特に果物類は種類も豊富で、菓子作りをインスパイアしてくれるとも仰っていました。

地方の新しい形

東京に行かなければ、一流は味わえない時代は終わり、石田さんのように様々な経験をした方々が、地方で事業を展開するケースも増えてきています。アラン・デュカスやピエール・エルメのお店は山梨県にはありませんが、それに優るとも劣らないお店が地方にもあり、地方の価値観やペースで利用できる新しい地方の時代の到来が、一極集中から脱却し分散社会を形作るための一つの要素になると思います。

今後は、一緒に菓子を作るスタッフを増やし、後継者の育成にも取り組みたいし、何よりこの地で自分がチャレンジしたいことが、まだまだあるので、その時間が欲しいとも、今後を見据えていました。パティシエ石田さんと山梨県の食材との出会い、石田西洋菓子店の今後が益々楽しみになる取材でした。

【企業PROFILE】

石田西洋菓子店
山梨県韮崎市本町2-10-8