1,200年以上の歴史を重ねる市川大門手漉和紙。正倉院の書物にも「甲斐の国より朝廷へ紙の原料となる麻が納められた」という記述もあり、日本でも長い歴史を持つ手漉き和紙です。昭和30年代には、手漉きの経験を基に、機械漉きによる大量生産にも成功し、この地域が和紙の一大産地となりました。障子に使用される紙の40%が市川和紙だと言われています。ただ、洋紙の普及や、住居の建具の変化、ペーパーレス化など、和紙を取り囲む市場環境は厳しくなる一方で、特に手漉き和紙を続けているのは、豊川製紙工場の豊川氏ただ一人となっています。この貴重な伝統工芸を次の世代に継承するため、後継者育成事業の拠点として、町、商工会、和紙組合が一緒になって、令和2年3月「市川手漉き和紙夢工房」を立ち上げました。その事業による後継者、地元出身の“渡邉 萌絵”さんにお話をお聞きしました。
この地域で育ちましたので、手漉き和紙のことは子どもの頃から知っていました。小学校の卒業証書は、自分で手漉きした和紙のものです。手漉き和紙を継承する職人が減っていることを知り、その技能が消えてしまうことに寂しさを覚え応募しました。幸い採用されましたので、通っていた一般の大学を辞め、京都の園部にある京都伝統工芸大学校の和紙工芸科で学びました。帰郷した後は、豊川さんにご指導をいただき、何とかその技能を後世に伝えられないか、夢工房でがんばっています。
一枚として同じものができないことでしょうか。熟練の職人が漉いた手漉き和紙は、品質が一定で、工業製品としての条件も満たしますが、それでもやはりそれぞれの手漉き和紙は、趣きや手触りなど微妙に違っていて、それが魅力だと思います。大袈裟かも知れませんが、手漉き和紙は一点ものと言えるかもしれません。
豊川さんが手漉きしている姿は、何度も見させていただきましたが、作業の手順が正確で、動作にリズムがあります。その常に一定している作業が、手漉きでも品質を揃えることができることに繋がっているのだと思います。真似をしても直ぐに習得できるものではなく、長い時間、繰り返し手漉きしてきた経験の積み重ねにより、考えなくても自然に体が動く次元に到達できるのだと感じます。自分も、少しでも多く手漉き和紙の経験値を積み重ねたいと思っています。手漉きの工程は、煮熟(しゃじゅく)→塵取り→叩解(こうかい)→紙漉き→脱水→乾燥 ですが、どの工程もその地方で受け継がれてきた手法・段取りがあり、数多く経験することが技能を伝承する上で最も大切なことだと思います。
手間や時間がかかるため、どうしても売値単価は高くなってしまいますが、ご購入いただいたら、しまっておかないで是非使っていただきたいですね。工芸品としてではなく、普段使いの中で、手漉き和紙の良さを実感してもらえると嬉しいです。
昔の日本の生活と比べると、手漉き和紙の利用機会は、益々減っていきます。ただ、日本の紙文化を支えてきた手漉き和紙は、ある意味、日本人の精神文化も育んできた伝統工芸であり、気が遠くなるような時間を生きてきた手漉き和紙が消えてしまうのはあまりにも残念です。手漉き和紙の新たな活用、需要があって、はじめて次の時代に職人技能が継承される環境が整うのであって、貴重な伝統工芸が続いてきた県の住人として、市川大門手漉和紙の歴史、手漉き和紙の特性などをまずは良く知ることが大切なことだと感じました。手漉き和紙の関係者の皆さんが、商品開発や後継者育成に一生懸命に取り組んでいる姿も拝見し、手漉き和紙の需要を支えることに県民あるいは一消費者として何ができるか、山梨県らしさを象徴する市川大門手漉和紙の取材を通じて、つくづく考えさせられました。筆者も体験させていただきましたが、夢工房では、手漉き体験、和紙づくりワークショップなど自ら手漉き和紙を知ることができる機会を提供しています。ぜひ、ご予約の上、お子様も一緒に体験されてみてはいかがでしょう。