機械設計のファブレス企業として、2008年甲斐市で創業したアイドラス株式会社。平均年齢38歳。工場の自動化ロボット、医療産業用ロボットの設計を軸に若いスタッフが多く活躍する同社は、2022年に鳥取県のものづくり企業と資本業務提携を行いました。
「弊社は設計のみの会社でしたが、以前から製造まで行えるようにしたいと考えていました。資本業務提携を行ったのは、鳥取県に工場を持つ『株式会社鳥取メカシステム』様。それぞれ、自社のみでは解決し難い課題を抱えており、互いの利害が一致して協業をスタートさせました」
こう聞かせてくれるのは、株式会社アイドラス代表取締役・石原敬三さん。石原さんは京都府生まれ。高度経済成長期に当時勤めていた企業の設計社員として甲府の営業所を任されたことをきっかけに、生活地を山梨へ移しました。
「当時勤務していたのは、工場の自動化設備の設計から製造、販売までをトータルで行っている企業でした。時代は、高度経済成長期。大手電機メーカーの下請け工場として、甲府に工場を構えることになると、私はその責任者のような立場を任されました。設計社員でしたが、経営も担うようになって、2つの工場の立ち上げに関わりました。しかしその後、バブルが崩壊し、会社は倒産。責任ある立場でしたので、それはトラウマとなるような出来事でした」
石原さんはその後も故郷に戻ることなく、山梨でもう一度機械設計を学び直し、技術者派遣の業務に従事。次第に〝もの足りなく〟なり、再び事業にチャレンジすることを決意したのだと言います。
創業のあと、リーマンショックを経験。本格始動を始めたのは2011年。工場はもちろん事務所も持たない自宅でのスタートから、現在は昭和町に事務所を構え、提携先企業でものづくりを行える体制を整えています。
「資本業務提携の決め手となったのは、コロナ禍以降業績が伸び悩んだこと。それと、技術力の向上やものづくりに携わる若手の採用・育成といった課題は自社のみでは解決が難しいと感じるようになったこと。当社は設計者不足の課題を抱えていた鳥取県の自動機械設計・製造企業とパートナーシップを結びましたが、リモートワークの普及も大きく影響し、物理的な距離が障害となることなく交流ができています。業務提携後、これまでは『ものづくりができないから』と手離さざるを得なかった仕事も請けられるようになり、業務の幅がさっそく広がっているのを感じています」
FA事業(工場自動化ロボットの設計)や医療産業用ロボットの設計を行う同社の事務所は、大きなモニターが備えられたデスクが壁沿いに並び、和気あいあいとした雰囲気。何かを決める時は全員で話合って決めるというほどコミュニケーションの風通しが良い同社には、後輩から何かを尋ねられたら自分の仕事を止めてでも2秒以内に教えてあげるという「2秒ルール」という独自のルールがあるそうです。
「人を育てる、人が育つためには、聞きやすい雰囲気と『教える、教わる』の工程が不可欠です。ですから、社内で教えられないことはポリテクセンターのセミナーを活用。電気技術や加工技術など、みんなで同じものを受講するのではなく、それぞれが興味のあるコースを受講して、それを業務に活かしたり、社内で情報交換し合ったり。設計図を描く以外の周辺の知識が増えることで、より良い図面が描けるようになりますから」
人の育成、技術のさらなる向上、そして鳥取メカシステムとの業務提携による新たな顧客と業務領域の獲得。「近い将来、山梨に新工場を設立するために、今後は2社で準備を加速させていきます」
もともと機械設計に興味があり、独学で学んでいたんです。未経験でしたが、なるべく早く戦力になって、最前線で設計に携わっていきたい気持ちがあったのでアイドラスの規模と、周りの人たちにすぐに聞ける雰囲気は理想的でした。入社して3年ですが、お客様と打合せに出て、お客様の困りごとを解決できるような工場設備を設計する業務に携わらせていただき、とてもやりがいを感じています。ポリテクセンターのセミナーもよく受講させていただいていますが、技術や知識を学ぶことで、業務の幅を広げることができるなど、仕事に対する自信になっている気がします。
前職は事務職。大学時代に建築CADに触れたことがあり、機械CADの知識も少しあるなど、ものづくりに興味がありました。ですので、思い切って前職を辞め、ポリテクに入所。CADを一から学び直したことに加えて、設計についても学びました。設計技術者の卵としてアイドラスに入社してからは、周りの先輩たちに教わりながら実践の中で技術を磨いています。特に興味を持っているのが医療機器の設計で、山梨県の医療機器講座にも2年通っています。私はまだまだ修行中。できないことを一つずつなくして、世の中の困りごとを小さなことからでも変えていけるような機械を生み出して行けたらと思います。