山梨県の伝統工芸を次の世代へ

代表取締役社長 十四代 上原 勇七さん

個性的な大地が風を受け止める

今号の「企業とつながるポリテク」では他県からの風と共に山梨県で生きる企業を取材しましたが、コラム欄では山梨県の個性を彩る大地として地元の土壌を形成する事業の営みについて紹介します。地場産業として長い歴史を積み重ねてきたのは、地域の風土・地勢的な環境などの影響による必然であり、地方の個性を如実に表しています。時代の嗜好の変化により、事業継続が厳しい時節もある中、山梨県の個性を際立たせる存在として真摯に事業承継に向き合う姿をお伝えします。山梨県の個性として存続し続けてきた地場産業が、未来へ引き継がれていくためには、保護・保存という行政的な仕組みだけではなく、その産業が市場から支持され続けていくことが重要です。この地域だけで事業を存続できるものではなく、外部からの風も必要なのかも知れません。これまでのストーリーも県民の皆様にご理解いただき、地場産業を山梨県の誇りと感じてもらえると嬉しく思います。

400年以上に渡って甲州印伝の独特の技法を伝承してきた印傳屋 上原勇七。17世紀、印度の装飾革が日本に伝わり、和様化した装飾鹿革製品を印度伝来から印伝と呼称するようになったのが由来と言われています。江戸時代には、全国各地で製造されていましたが、製法が伝えられているのは甲州印伝のみで、貴重な伝統工芸が山梨県に存在することそのものが奇跡と言えるかもしれません。山梨県においても、2023年に1軒店じまいをされ残っているのは2軒のみ。甲州印伝の伝統工芸士の方は8名となっています。時代を超えて、甲州印伝が伝承されてきた歴史、未来へのビジョンについて、印傳屋 十四代 上原勇七さんにお話を伺いました。

江戸時代には
全国各地で製造されていた印伝が
山梨県に残った背景は

山梨県の自然環境が甲州印伝を育んだ

はっきりしたことはわかりませんが、山梨県の立地、自然環境が大きかったのではないかと思います。鹿革、漆と言った印伝の製造に欠かせない原材料を手に入れやすかったことは、無関係ではないと考えています。気候も合っていたかも知れません。

また、遠祖 上原 勇七 が鹿革に漆付けする独自の技法を創案し甲州印伝を確立したこと、一子相伝で技法を伝承してきたことも、長い歴史を刻めた要因かも知れません。

印傳屋 上原 勇七 本社

昨年、印伝のお店が閉店し、
現存する甲州印伝メーカーは
2軒のみとなりましたが
伝統工芸士を含め、
後継者の育成と技能承継事業の
次世代への橋渡しについて
お考えをお聞かせください

人間尊重ノ事業経営

最盛期には、5社ほど印伝メーカーがありましたが、現在は2社のみとなって非常に残念です。当社でも、次世代人材の育成は最重要課題であり、人材確保と育成に力を注いでいます。特にバブル期は、本当に人材確保が難しい時期で大変な思いをしました。当社は企業規模も大きくなく、単に求人広告を出すだけではなかなか応募者が集まりません。当社の職務に合う方を採用させていただくには、人材確保の方法も色々工夫する必要があります。最近では、SNSも含め情報を積極的に発信し、印傳屋の経営方針や目指していることを多くの方にご理解いただき、その延長上で印傳屋に入社したいという方と出会えれば、お互いに良いことだと考えています。手仕事に興味があって、技能を磨きながら心を込めて作った製品を、お買い求めいただいたお客様が気に入って使ってくれる喜びを、やりがいとして感じられる方に、甲州印伝の歴史を承継して欲しいですね。

経済産業省の指定を受けた伝統的工芸品の工程で伝統技法により作業をする職人を伝統工芸士と言いますが、甲州印伝は、その他にも革の選別、染色、荒断ち、革合わせ、裁断、仕上げ、検品の工程があり、どのプロセスも長年の経験から培われる感性を必要としており、全ての段階の仕上がりが、完成品のクオリティに繋がっています。どうしても伝統工芸士に耳目が集まりがちですが、印傳屋では全ての職人に対してリスペクトを持って接しています。今後も全ての工程で次世代の人材を育成することに努力していきたいと思います。

また父である先代の 13代上原勇七 が一子相伝であった門外不出の技法を公開することにより、職人の育成を進めたことも技能伝承において大きな決断だったと思います。自分は、その頃学生であり、家業には携わっておりませんでしたが、12代続いた家伝の秘技を公開すると言うとてつもない英断であったと思います。承継のメカニズムが大きく変わったわけですから、誰に伝えるか、どう承継するかなどが重要になると思います。そういう意味でも、人間尊重と言う当社の企業理念が重要だと考えています。

400年以上の歴史を重ねてきた
甲州印伝を後世に伝えていく中で
切にしなければならないことを
教えてください

甲州印伝を深堀りし後世に
伝える責任を果たす

時代に寄り添い、その時代のお客様からご支持いただくためには、その嗜好の変化への対応や新しい製品開発への取り組みは常に必要です。ただ、ブレてはならないと考えていることは、鹿革と漆の組み合わせによる製品の提供、甲州印伝以外のビジネスには関わらないこと、そして甲州印伝の世界を深堀りしていくことに専念し、甲州印伝を後世に伝える責任を果たすことです。それが、今後も当社が提供させていただく製品の趣や粋に繋がり、甲州印伝を提供し続ける喜びを社員が感じてくれる礎だと思っています。

激しい変化を続ける消費社会で
印傳屋として対応してきた歩みや
今後の展望についてお聞かせください

時代に合わせて
印傳屋らしい製品を作り続ける

当社は、製造メーカーとしては珍しく早い時期から、直販店を展開してきました。そのことがお客様の声を直接聞く重要な機会となってきたと思います。小売りのノウハウがあったことで、時代の嗜好の変化を、ダイレクトに速やかに把握することができます。全てのご要望にお応えできるわけではありませんが、時代に寄り添いお客様に支持される製品を供給できることが、歴史を繋いでいくための条件です。伝統的な模様も大切にしながら、自社企画によるブランドも時代の要請に応えて生み出していきたいし、他企業や優れたデザイナーとのコラボレーションにも取り組んでいきたい。ただ、革だけを売るようなことではなく、印傳屋の歴史やポリシーに合致するお話があればよくお伺いし、互いが理解し合った上で、印傳屋らしい製品をお届けしたいと考えています。

以前、他県で技能伝承が危機的状況にあった「江戸切子」「たたら製鉄」の職人さんにお話を伺ったことがあります。伝統技能の保存のための様々な試みが行政的に行われていましたが、当事者であるご本人達は「お客さんに普段使いで長く使ってもらえる日用品を作り続けるのが職人であり、特別な技能者として作家や芸術家のように接してもらうのは本意ではない」という職人としての矜持をお聞かせいただいた時のことを思い出しました。日本中、数多くあった伝統技能が時代の変化により消滅してきた歴史は数多くあります。山梨県民として、時代と共に生きる甲州印伝が後世に引き継がれ続けることを願って止みません。作り手だけではなく、それを愛用する使い手も、共に伝統技能を守る担い手であることを改めて感じさせていただいた取材でした。

  • 印傳屋 上原 勇七 甲府本店
株式会社 印傳屋 上原 勇七
  • 1582年創業
    本 社:山梨県甲府市川田町アリア201
  • 店 舗:甲府本店(印傳博物館)
    山梨県甲府市中央3-11-15
  • 青 山 店
    東京都港区南青山2-12-15 1F・2F
  • 心斎橋店
    大阪市中央区博労町3-6-7
  • 名古屋御園店
    愛知県名古屋市中区栄1-10-21