未来への投資

清里を未来につなぐ

萌木の村の写真

 2024年、53年目を迎えるROCK、半世紀以上にわたって清里を愛し、この地に生きた〝舩木上次〟は、何を成し、何を次世代に伝えたいのか、これまでの歴史も振り返りながら、未来の清里について、舩木さんにお話を伺いました。
 ポール・ラッシュ博士が設立した「キープ協会」で働くご両親のもとに、1949年舩木さんは誕生しました。ポール博士の生きざまを見て幼少期を過ごし、舩木上次と言う人物の感性を形成していきます。大学進学で、一時期、清里の地を離れますが、この地に帰って、若者の拠点となる初代「ROCK」を開業し、清里の自然と文化の融合を目指し、半世紀にわたり清里を牽引します。その間、バブル期の狂騒の時代を経て荒廃した街に嘆き、清里の象徴でもあったROCKの火災による消失などつらい時期を経ながら何度も立ち上がり現在にいたります。その長い時の中で、森の中のクラシックホテル「Hut Walden」の開業、世界的に価値の高いオルゴールの収集、萌木の村株式会社の創業、いち早く立ち上げた地ビール「八ヶ岳ビールTOUCHDOWN」、清里フィールドバレエ、萌木の村スペシャルウイスキー、ポール・スミザー氏によるナチュラルガーデンズMOEGIなど数多くの事業に取り組みました。各界の魅力的な方々を巻き込み、清里の地で織りなされたこれらの歴史が、萌木の村のスタッフに何をもたらし、どのように引き継がれていくのかお聞きしました。

舩木上次さんの写真
半世紀を経た「ROCK」、
次の50年、この地でどう生きるのか?
100年後、ROCKや萌木の村は
どうなっているか分からない。
でも、石積みと山野草は必ず残る

 「ROCK、萌木の村が、次の50年どうこの地に存在するのか、未来予測は難しいね。清里全般に言えることだが、これまでのお金中心の価値観では、これからの時代に生きていくのは難しいと思っている。人間の経済活動が原因の災害や気候変動が激しい中で、新しい価値観を提案できるリーダーが必要になる。萌木の村にもそういうリーダーが現れて欲しい。清里の気候・風土と共存できる文化を育てられれば存続できるかもしれない。万が一、ROCKや萌木の村がなくなる時が来たとしても、11年間かけて八ヶ岳の生態系に寄り添うよう育ててきた萌木の村の山野草と石積みのガーデンは時代を超えて残っていくだろうね。化学肥料や農薬を使わない、この地の微生物が作った土が育む、植物、昆虫、野鳥などの自然をぜひ次世代に託したい。
 物や金による満足ではなく、本来あるべき姿、古の姿を取り戻し過去との融合を目指す、便利さの追求を止め、環境に負荷をかけない、心の満足を得られるような清里であって欲しいと思う。そういう小さな営み、基礎を積み重ねていく先に未来予測ができるような気がする」

ROCK店内の写真

「ROCK」店内

各界の一流の方々と仕事が出来るのは、
舩木さんという
キャラクターがいるからで、
舩木さんが一線を退いた後、
その関係性をどう引き継ぐのか?
一流に触れることで人は成長できる!

 「人間の営みにおける欲望は、ある意味生きるための原動力になることもあるし、市場を活性化する力になったりもする。ただ、欲望にも上品、下品があり、質の高い欲望は文化となる。高価なものが良いと言っているのではなく、人物に限らず一流の製品や商品には、その上質な欲望を刺激する魅力があることが多い。そういったものに接することが、自分を磨き、感性を豊かにすることにつながるので、萌木の村のスタッフには、その一流の欲望に触れる機会をできるだけ多く作ることを心がけてほしいと思っている。ただ、そこから何を吸収し、自分の中で化学変化させていくかは、本人次第。自ら一流の出会いを欲するスタッフには、いくらでもチャンスを与えたいと思っている。自分のコピー版の後継者を育成しようとは思ってはいない。自分とは違う個性と夢を持った志の高い人材が現れて欲しいと常に思っている。その為に今、自分が取り組める事業には真摯に向き合っていきたい。その中で、面白い人物が出現してくれればいいなと・・・」

清里フィールドバレエ、
世界のアンティークオルゴール館などを
萌木の村で企画し始めたねらいは?
田舎だからこそ本物の文化・芸術が必要!

「元々バレエに造詣が深かったわけではなく、妻がバレエダンサーだったこと、さらに、それまでにも海外で一流のサーカスなどの興行を鑑賞していた経験から、野外で一流のバレエ公演ができないか、こんな田舎でも子供たちが一流の文化・芸術に触れられる機会が作れないかと考えて取り組んできた。清里の地で腰を据えて文化を発信できないかという願いと関係者の熱いご支援が2024年で35回目を迎えられるまで続いた原動力になった。おかげさまで、この地域から世界的なバレリーナが育ったりしていて、文化発信の重要さが改めてわかった。オルゴールも然りで、歴史的に貴重な一級品を所蔵・展示することで、色々なことが起きるようになる。だからこそ一流に触れることが重要だと思う」

清里フィールドバレエの写真

清里フィールドバレエ

萌木の村の庭は大きく変わりましたね
八ヶ岳の自然風土に合った庭園の再生!

 「以前は、枕木を多用して、季節にも風土にも合わない植物を、ケミカルで無理やり植えていたような庭だったんだよね。無知であることはつくづく怖いよね。枕木のコールタールは土中の微生物の天敵だし、化学肥料も同様。土に力がなくなり、化学物質で不自然な状態を維持し続けることになる。植物は種子も付けず、見た目を繕うだけの庭になっていたんだね。ポール・スミザー氏と出会って全否定された。そこから、この地域の生態系に合った植物に全て植え替え、何千本もあった枕木を全撤去し、地元の石で石垣を組み直したところ、土中の微生物は復活し、自然の受粉で実も付けるようになり、季節になれば毎年植物が爆発するように咲き誇る。虫も鳥も増え、豊かな清里の自然の縮図が、この萌木の村に再生出来た。さらにこの庭は『シードバンク(種子の保管場所)』の役割も果たしている。未来に〝つなげる〟ための庭になった。」

舩木さんはお酒を飲まないと
聞いていますが、
なぜ萌木の村スペシャルウイスキーを
リリースするようになったのか?
グローバル・ローカルは文化発信から!

 「ポール先生がウイスキーを愛していた影響が大きいと思う。ウイスキーをめぐる歴史や物語にも興味があるし、ここにきてジャパニーズウイスキーが世界的に評価されているのも大きな要因になっている。そのジャパニーズウイスキーのモルト原酒をブレンドして、フィールドバレエのアニバーサリーウイスキーをリリースし始めたのが25周年の時。サントリーの4代目チーフブレンダー輿水精一さん、5代目チーフブレンダー福與伸二さん、ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎さんなど錚々たる方々が、アニバーサリー企画に賛同くださり、これまでに「萌木の村スペシャルウイスキー」として12種類をリリースすることができた。その他にも、既に入手困難な国産ウイスキーもコツコツと収集してあるので、過去のウイスキーから未来のウイスキーづくりに活かしていきたいとも思っている。「Hut Walden」のBar Perchで、それらのウイスキーを味わってもらい、ウイスキーを巡る文化をこの地から発信できるようになると嬉しい。世界中からウイスキー愛好家が、ウイスキーを楽しみに来訪してくれていることは、非常にありがたいことだと思っている。
 ウイスキーは、仕込んでから何十年という年月と、熟成地の水・環境そのものが、樽の風味と相まって独特の風合いを醸し出す。それらのウイスキーが清里の時の流れとともに時代を超えて生き続けることも、ウイスキーに惹かれる理由かもしれません」

Hut WaldenのBar Perchにての写真

Hut Waldenの「Bar Perch」にて

舩木さんから次世代に伝えたいことは?
感動と感謝と笑顔!

 「自分には、それほど時間が残っていない。新しい取組みをすると中途半端な状態で引き継ぐことになるかも知れないので、次世代の方々をサポートすることに残りの時間を使いたい。まあ、黙っていられない性格なので、口出しし過ぎて嫌がられるかもね。志の高い人材がどんどん出てきて欲しい。そして思い上がることなく、謙虚に時代、そして清里に向き合って欲しい。
 当たり前だが、人生は一度しかない。人に迷惑をかけなければ、自由に生きて欲しい!感動と感謝と笑顔!が一番だね。最近はそう思うよ。」

 ポール・ラッシュ博士の精神を引き継ぎ、75年の時を刻んだ〝舩木上次〟の足跡や想いを一朝一夕には伝えられませんが、舩木さんの人生そのものが未来への投資であることは間違いありません。第2の〝舩木上次〟は、絶対に現れませんが、舩木さんが見せてくれた様々な清里は、一緒に働く次世代の方々の心の深いところに響いているはずで、舩木さんとはまた違うタイプのリーダーとして、多様な人たちを巻き込み、清里の歴史を刻んでくれると思います。
 そして清里は、八ヶ岳の四季、風景、風土が主役であり、それを損なわず謙虚に共生することこそが、未来の清里への投資であると思います。

萌木の村株式会社のロゴ 萌木の村株式会社の外観写真

萌木の村株式会社

所在地:山梨県北杜市高根町清里3545
   TEL.0551-48-3522
事業内容:ホテル・レストラン
及び喫茶店の経営ほか