デジタルテクノロジーを背景としたDX社会は、どのような時代を実現しようとしているのだろうか。より効率的に、よりスピーディーに、より便利にと言う時代の流れの中で、人が関わる仕事がどのように変化していくのか、先が見えなくなることがしばしばあります。モノづくり分野で言えば、デジタルテクノロジーの特徴の一つである、世界中どこで作っても同じものができる可能性があること、マーケティング・企画・設計にしても、同じクラウドAIに依存すれば、同じ結果になることが十分考えられます。そこには、作り手や製品にドラマやストーリーは存在せず、コストの大小だけが勝負を決するかなり無機質な市場の広がる世界が、筆者には見えます。製品そのものよりも、製造過程のソフトウェアがより重要な社会になりつつあります。
一方、SDGsに象徴される持続可能社会実現への取組みと、DX社会における消費行動との整合性が、どうしても理解できません。最近は、少なくなった〝職人〟と言われる方々の、個人の技に依存して存続してきた世界は、持続可能社会のエコロジーに合った営みであったように思います。ノスタルジーではなく、デジタル化の対極にある職人としての生き方についてお話を伺い、来るべき次世代の方々が大切にしなければならないことは何かを探りたいと思います。
IGARASHI TROUSERS
大学在学時に、ファッションメーカーでアルバイトをしたのをきっかけに、アパレル業界に興味を持ち、有名ブランドのデザイナーの下でデザイン・縫製の基礎を学ぶ。卒業後、オーダーメイドメーカー、セレクトショップ勤務を経て、2014年に個人店を創業。専門メーカーが少ないパンツに着目し、周りの反対はあったが、履き心地が良く、素敵なトラウザーズを市場に提供する人気店となる。2018年法人化と共に本社工場を山梨県に移転。
ズボンのことを、パンツ、スラックスと呼びますが、トラウザーズと言う呼称はご存じですか。まず、パンツと言う言葉は、米国圏では外で履くズボンのこと。英国圏では、下着のことを指します。スラックスの語源は、緩い・たるんだなどの意味があるアメリカ英語の「スラック(slack)」で、太もも回りにゆとりのある長ズボンのことを指します。一方、トラウザーズは、スーツで着用されるズボンやドレッシーな単体の長ズボンのこと。「トラウザーズ」=スーツの長ズボンやカチッとした綺麗な長ズボンと認識されていますが、メインはイギリスで多用されている言葉でアメリカ圏、日本では、あまり使われない言葉かも知れません。スラックスはカジュアルなものやスポーティーなものも含めて呼ばれることがしばしばありますが、トラウザーズはフォーマルなアイテムを指すことが多くなっています。
そのトラウザーズの専門店が、五十嵐トラウザーズです。ものづくりへのこだわりについて、代表の五十嵐徹さんにお話を伺いました。まず、商圏の中心である東京から山梨県に移転した経緯についてですが、市場に提供している自社の製品は、従業員一人一人の手を介して作り出されるものであり、その作り手のメンタルヘルスが非常に重要だと考え、思い切って自然豊かな山梨県に工場を移したそうです。その結果は、従業員の生活環境への満足度も高く、生産性、売上高ともに伸びたとおっしゃっていました。8名のスタッフで年間2,000本のトラウザーズを世に出すという驚異的な成長を遂げました。
トラウザーズ1本1本手縫いで、お客様に満足いただけるものを作り上げるわけですから、決して安くはありません。ただ、気に入った良い品物を大切に長く使用することで、気軽で安く手に入る大量生産品を使い捨てする場合とどちらが高くなるか考えてみてください。ものを大切に使う文化は、元々この国にあったもので、この環境が卓越した技能を持つ職人を数多く育んできた風土であると思います。持続可能社会は、作り手が心を込めて丁寧に作った品物をリスペクトし、ふさわしい代価を負担する消費者が増えることが鍵だと思います。それでも、日本では、アパレル業界が苦戦しており、日本のマーケットだけでは、事業を継続することは難しい、海外の顧客も含めたブランド展開をしていきたいと、五十嵐さんは語っています。
職人世界も、DX化の影響は無視できません。販売や情報発信は、SNSなどネットワーク社会の中で行われますし、縫製業界においても、ミシンのハイテク化は徐々に進んでいます。そう言ったDX化する社会で、個人の技をもって生きていくには、DX化とも共生していくことと、「何を目指すのか」「お金よりも大事な目的があるのか」を自分の中でしっかりと見定めて本質を見極め、プロフェッショナルとして生きていく覚悟が必要だと五十嵐さんはおっしゃっています。コンピュータには実現できない作り手としての職人の哲学が、消費する方々を感動させ、大切な一品として愛用されるのではないでしょうか。
五十嵐さんの思い描く将来は、昔の職人とは違う価値観が必要で、良いものを作れば売れると言う幻想から脱却したいと考えています。職人が作る品物だから、時間がかかって当たり前だと言うのがこれまでの常識ですが、五十嵐トラウザーズの納期は非常に短くなっています。出来上がりを楽しみに待っているお客様へ、速くお届けするための工夫も常に行っています。時代の要請に寄り添える〝新しい職人〟像を目指すことが重要だとも言われていました。これからの時代にあった〝職人再生〟が目標だとおっしゃっています。その想いを明文化した五十嵐トラウザーズの職場に掲げた目標を引用させていただきます。
STEP1:IGT、IGNを再現性のある有名ブランドにする売れるものではなく、作りたいものが売れるを実現できるDtoCの仕組みを実現、STEP2:ものづくり会社にSTEP1の再、STEP3:職人再生、職業的地位向上も実現自分たちで考え、実行しお客様のことを考えることが出来る職人へ時間、お金、プロダクトに余裕を
株式会社RIFORMA
山梨本社
〒400-0858
山梨県甲府市相生2-4-24モナーク相生1F
(2022年県内で秋移転予定)
東京支社
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取材を終えて感じたことは、昔の職人世界とは隔世の感がありました。これからの時代、デジタルテクノロジーを背景とした組織やシステムの中で生きていくのも大変ですが、技の世界においても、技能の習得には、時間と弛まぬ研鑽が必要なことは当たり前ですが、その上、時代のあり様や、市場を見通す感性豊かな見識が技で生きていく上で非常に重要になって来ていることがよくわかりました。伝統工芸になってしまった分野は別ですが、以前のように何百年も変わらず、職人世界が変化せず継続できる時代ではないことも感じた取材でした。
「変わりながらやり続ける」五十嵐さんの職人としての矜持で、これまでとは違う職人のビジョンをお示しいただきました。以前、筆者が数年間勤務した京都の和菓子職人の言葉を思い出します。〝素敵な商品には、素敵なお客様がつくものです〟作り手と消費者の人としての関係性やドラマが、DX社会の中でも継続していくことを願って止みません。